姜維に関する料理整理
1.軍屯鍋盔/姜維パン
姜維は軍楽(今の成都彭州)で屯兵する、北伐の軍糧を考える時、地元の民は一つ名前は「鍋盔」と呼ばれたパンを食べていると気がついた。このパンは小さいから持ち歩くは便利、軍糧としてちょうど良い。姜維は改良して(最初の鍋盔はただの小麦粉だけが作るもの、味はない。姜維は塩コショウを入れて、もっと美味しくなった)、軍糧になった。屯軍した時が発明だから軍屯鍋盔と呼ばれた。
(ちなみに成都の近くは軍屯という街がある、昔馬岱はあそこで屯兵したことがあるから時には軍屯鍋盔は彼が発明したという間違いも出た、実は姜維です。)军屯锅盔

2.浆水面
昔話によると、長い進軍途中のあらゆる状況に備えて、姜維は野菜の干し物を常に用意しておくよう、兵士たちに命した。
ある日、想定外の豪雨により干し野菜が濡れ、さらに日光に当たり自然発酵してしまった。
兵士たちはこんな野菜は食用できないと思ったが、姜維はこれを捨てるにはもったいないと考え、一口試食した。すると、その発酵した野菜はとんでもない珍味であることに気づいた。
傷ついた兵士は喉の乾きを緩めんとし、野菜を浴びた汁を飲むと、その爽やかな味に疲労が一掃された。
その後、麦維は兵士にこのようは野菜を意図的に作らせ始めたのだ。
作られた野菜は「酸菜」と名付けられ、その汁は「姜水」と呼ばれていた。
兵士たちは進軍中、「姜水」を飲み、疲労回復や解暑の効果に恵られたと言う説があり、姜水は神水とも呼ばれていた模様。
その神水が後世でだんだん改良され、現代の水となったのである。
浆水面

3.姜維豆腐
蜀、景耀六年。姜維は漢中で敗北、剣閣へ撤退した。魏将鍾会、鄧艾二人は剣閣を攻めたい。この大変の時期、姜維の軍隊はずっと戦っていたから、もう体力なし、軍馬もすごく疲れた。ある兵士は「軍隊は豆腐を主食として食べる、そしておからは馬にくれる」と姜維に献策する、そうしたら、豆腐が美味しくてタンパク質も高いので兵士たちはすぐ元気になった、鍾会と鄧艾の軍隊に撃退した。この後豆腐だんだん剣閣の名物になった。
姜维豆腐

4.姜維守関/姜維は陣地を守る
姜維に記念するため作った料理。城の外が立ってるこの丸い物は天ぷら、そして裏には豆腐とワサビとマヨネーズがある、多分兵の象徴。
姜维守关

5.九斗碗
「九斗碗」、四川の田舎の風俗。由来は昔姜維が芦山で羌族を倒した時、民は喜ぶ、彼を歓迎するために一人一皿、得意な料理を持って来た。沢山の料理(すべて9種類)は姜維の前に並んだ。後世は結婚、子供が産まれたなどの喜ぶ時はこのような宴会を催す。その時は鶏肉、羊肉など9種類の料理を準備する。
九斗碗

6.出師大吉
出兵成功のために、姜維は毎回北伐前、供え物(豚の頭、果物、線香など)を準備して、神様に祈るという伝説がある。後世の人が改良し、今は「出師大吉」という料理になった。よい寓意があるので、芦山で宴会を催す時、この料理を食べる。
出师大吉

7.姜公醤肉
鍋盔と同じ行軍のため、肉をスパイスを入れ、陰干しにする。持ち歩く便利になる肉料理。
姜公酱肉

8.姜公兎
芦山で姜維を記念するために作った供え物。姜維が生きているときは兎肉が好きという伝説があるそう
姜公兔

9.錦囊妙計
演義で孔明様が死ぬ前に3つの策をの錦の袋に入れて姜維に渡した、これを記念するためこの料理を作った。豆腐の中にそぼろに入れて蒸れる、最後はキュウリ汁おつけ。
锦囊妙计

10.草船借箭
姜維は孔明様の策を感心して、記念のためにこういう料理を作る。芦山と剣閣は作る方法が違う。芦山の食材は牛肉とタケノコ。剣閣の食材は豆腐と落花生。どっちが本物がわからない。
草船借箭(芦山)
草船借箭(剣閣)
2024/08/18(日) 02:20 三国相关 PERMALINK COM(0)

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